待ってるから




 高耶はピアノの下に蹲る猫に、ちっ、ちっ、と呼びかけた。
「ごはんだぞ、おいで」
 猫のほうは、そんな高耶の努力など気にも留めないといった風情で、だらんと体を伸ばして、時折耳をぴくぴくと動かすだけだ。高耶はだが、そんなつれない相手にめげた様子もなく、今度は猫じゃらしを取り出して振り始めた。
「ほら、ほら」
 猫は、仕方ないなという顔で、体を起こすこともせず、前足だけを動かしてちょんちょんと猫じゃらしに触れて、すぐに興味を失ったように顔を背けた。
「にゃんこー」
 高耶が哀しげにささやきかけると、後ろからくつくつと笑い声が聞こえてきた。
「……んだよ」
 高耶が唇を尖らせて振り返ると、猫の飼い主はくしゃりと目元を崩した。
「いえ、かわいいなぁと」
「そりゃあそうだ。にゃんこはオレの見た中でも一番の器量よしだな」
 高耶は頷いたが、男――直江は含み笑いをして、それから高耶の手にした猫じゃらしを取り上げた。
「なんだよ」
「もうすっかりコレは飽きられているんですよ。猫は移り気ですから」
「そうか……」
 直江は親切顔で、にゃんこのおやつを取り出した。小分けでスティックのようになっているもので、高耶も知っているほど有名なものだ。猫まっしぐら、高耶も機会があれば試して見たいとかねがね思っていた。
(喜んで食べなかったら返品します、っていうくらいの自信作らしいからな!)
 高耶が受け取ろうとすると、直江は目を細めた。
「高耶さん」
「ん?」
「今日は何の日だと思います?」
「今日?」
 直江と付き合うようになってから随分経つが、何かの記念日だったろうか。高耶は首を傾げた。
「海の日……は過ぎたよな」
 直江はじらす気はなかったらしく、苦笑して高耶の頬を空いている左手で撫でた。
「高耶さん……今日は大事な高耶さんの誕生日の、前日です」
「……前日って」
「もう日付が変わりますよ」
 言われて高耶は時計を見た。確かにあと五分ほどで午前零時だ。
「それで、なんだよ」
「……高耶さんは、明日、休みですよね」
「お前は仕事だよな」
 くっと直江は唇を噛み締めた。
「二ヵ月も前から休みを申請していたというのに……」
「ああ、残念だな……海に連れていってもらうつもりだったのに」
 高耶がさらりと言うと、直江は苦難を忍ぶような顔をした。
「高耶さん、明日はこの子と遊ぶんですか」
 この子、とは、直江の愛猫のはずのにゃんこだった。
「仕方ないからな」
 直江と予定があるから、と早々に友人たちの誘いは断ってしまっていた。今更どこかに行きたいとは言いがたい。
「……やはりこれはあげられません」
「は?」
 おやつをひっこめる直江に、高耶は目を丸くした。
「明日、高耶さんを独り占めする相手に、これ以上いい想いをさせるなんて……」
 くくっと顔をゆがめる直江の手から高耶はおやつを引き抜いた。
「にゃんこー」
 かさかさ、とスティックを振ると、先程までの気怠い風情がうそのようににゃんこは身軽に置きだして、高耶の足元にすりすりと頭をこすりつけた。
「おおー!」
 高耶は目を輝かせたが、直江は反対に哀しげに息を吐いた。
「そうかそうか、コレそんなに好きかー」
「……高耶さん、それは一気に上げないでくださいね。好きすぎて喉に詰まらせる危険がありますから……」
「わかった!」
 目をきらきらさせて高耶は生返事をした。
「……明日……」
「ん?」
「高耶さんのお望み通りのものが届きますから、ウチにいてくださいね」
「わかってるって」
 猫に一粒ずつおやつのキャットフードを与えながら高耶は頷いてみせた。
「ちゃんと待ってるから」
 それから顔を上げて微笑みかける。
「お前が帰ってくるの、待ってるからな」
「高耶さん!」
 スティックタイプの袋から、ざらざらとキャットフードが零れる。にゃんこは喜んで全部食べてしまったようだったが、二人ともそれには気付けなかった。
「高耶さん、日付が変わります……」
「ん」
 直江の口付けを受けて、高耶はうっとりと目を閉じる。
「誕生日、おめでとうございます」
「ん……」
 あとは甘い吐息を漏らし、ただ直江にしがみつく時間になった。



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