チョコの香り






 高耶は重い足取りで家までの道のりを歩いていた。
(ああ、なんでオレあんなこと言っちゃったんだろ……)
 後悔しきりなのは、昨日張ってしまったつまらぬ意地のせいだ。
(チョコレートなんていらない、なんて)
 いつもいつも。どうしてこう自分は意固地なのか。
 ことの発端は、年上の恋人からの何気ない一言だった。






「今年も、いろいろなチョコレートが出ていますね」
 十一歳年上の男は、バレンタインなど食傷気味だろうに、テレビを見ながら感心したように頷いていた。
「そりゃあ企業側だって必死だろうからな」
 ついそっけない返事になってしまうのは、シャワーを浴びてきた後の気恥ずかしさのせいだった。
 週末に、逢いたいと言ってきてくれたのは男からだった。高耶はいつも押し切られるように土日を恋人のマンションで過ごす――高耶の気性では、到底自分から嬉々としてなど、行けないのだ。
 年上の恋人は、そんな高耶をよくわかっているので、いつだって電話をくれ、言葉をくれ、手を伸ばしてくれる。
 その日も、そうだった。
「実は、もう用意してあるんですよ。楽しみにしていてくださいね」
「……あ、そう」
 そっけない返事に、直江はめげた様子もなかった。
「高耶さん」
「なんだ?」
 直江は、高耶の隣に立って甲斐甲斐しく濡れた髪を拭き始めた。
「ちゃんと乾かさないと、風邪を引いてしまいますよ」
 その手つきはやさしくて、高耶は思わずうっとりと目を細めた。
「……高耶さん」
 そっと耳に触れられて、高耶は身を震わせた。そのままベッドルームへと連れていかれ、流れのまま身を任す。
「ね、高耶さん、今日は……」
 あちこち触れられて、少し息が上がっていた高耶は反応が遅れた。
「これ、ね?」
「……なに、ちょ、あ」
 別におかしなものというわけではなかった。いや、おかしいと言えばおかしいかも知れないが、高耶が目くじら立てるようなものではなかった。
「変わった香りでしょう?チョコレートの香りなんですよ」
 が、高耶にソレをぬるぬると塗りたくる直江の輝かんばかりの笑顔はいただけなかった。
「私にも、チョコレート、くれるでしょう?高耶さん……」
 チョコレートの香りを纏いつかせ、直江にいつも以上に美味しくいただかれてしまった高耶は、最後のとどめに風呂場でボディソープであれこれされて、羞恥心の限界に達してしまったのだった。






「いや、あれは直江が悪いんだ」
 大体、オレだって、今年はチョコレートを用意したのに。
「まるでオレが用意なんてするわけないって思ってるみたいじゃねーか……」
 確かに付き合い始めてから三年、高耶のほうからチョコレートなど用意したことはなかった。直江がバレンタインにチョコレートを用意し、高耶はホワイトデーに、照れくさいのを我慢しつつマシュマロなんぞを買って、お返ししていた(直江は、バレンタインだけでなくホワイトデーにもあれこれくれるのだが)。
「今年こそ、オレの方からもって……」
 思っていたのに、これだ。
(でも、だからって、今夜の約束までキャンセルすることはなかったんだ……ああ、オレって馬鹿だよな、どうすんだよこのチョコレート)
 悄然と歩いてはいても、通いなれた通学路だ。見慣れた公団が近づいてきて、高耶は溜息を押し殺した。
 階段をのろのろと上ると、扉の前に人がいた。
「なおえ」
「すみません、来てしまいました」
「来てしまいましたって、お前。いつから」
「そんなに待っていないですから」
 直江はなんでもないように言って、手に提げていた鞄から包みを取り出す。
「その、高耶さんは嫌がるかも知れませんが……できれば今日、やっぱり渡したくて。……受け取っていただけませんか?」
 差し出されて、高耶は急に視界が滲むのを感じた。
(あ、れ)
 目を擦って、高耶は直江を見直す。
「オレ」
「だめでしょうか」
 高耶はぶんぶんと首を横に振った。
「オレも、渡したいの、あったんだ」
「え?」
 高耶は潰した通学用の鞄から、持ち歩いていた包みを取り出した。
「これ、お前に」
「私に?」
 高耶が頷くと、直江はそれは嬉しそうにそれを受け取ってくれた。
「嬉しいです」
「……うん」
 直江が喜んでくれるのが、嬉しい。
(ああ、だから直江は、毎年オレにくれるのか)
 高耶は直江から受け取った包みをきゅっと握った。
「オレも、嬉しい」



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