比翼
一
吹雪の夜だった。
直江は薪を火にくべ、火にかけた鍋からの湯気に身を寄せる。
「今日もまた吹雪か……」
できれば猟に出て、何か食べられる物でも取ってきたいところだが、しばらく荒れつづけている天候はいっかな改善の兆しはない。
焼いた粟餅をもそもそと食べながら、直江は溜息を押し殺した。
最近、直江はついていなかった。嵩を編んで売りに行けば途中で足を滑らせ、全てなくしてしまった。その帰りには、村で一番金持ちだが一番嫌われている松田と顔を合わせてしまい、くだらない言いがかりをつけられて、わずかでも買えるはずだった塩が買えなくなってしまった。幸いまだ蓄えがあるからいいものの、もし松田の気まぐれがこのまま続けば、と思うと憂鬱極まりない。
(だが、いいこともあった……)
思い返して直江は口元を綻ばせた。
罠にかかっていた鶴を、逃がすことができた。仕掛けていた人間には悪いが、その鶴はあまりに美しかったのだ。――罠にかかってもがく様まで。
直江が近づくと、野生の瞳が直江を見返してきた。身を固くしながらも、決して揺らがぬ瞳で威嚇する。
(同じ人間が仕掛けた罠にかかっていたのに、人間が罠を外すというのもおかしな話だろうが……)
だが直江が触れるほど近くに寄っても、鶴は直江を攻撃してはこなかった。直江に気を許しはしないものの、近寄り、足に触れるのを咎めることはなかった。
そうして、直江は鶴の足を掴んでいた罠をはずして、手ぬぐいを傷に巻いた。
直江を測るように見て、鶴は足を引きずりながらそっと去っていった。その姿が見えなくなるまで直江は見送っていた。
「もう、会うこともないだろうが」
鶴の美しい瞳を思い出して直江はそっと笑んだ。
こんこん、こんこん、と、家の戸を叩く音がして、薄い布団を体に巻きつけるようにして寝ていた直江は目を覚ました。
(誰だ?……盗まれるようなものは、何もないが)
強いて言えば布団くらいだろうが、直江のような図体の大きな男をわざわざ襲うとは考えにくい。……あとは、松田くらいだが。金で誰かを雇って目障りな直江を消す、と考える可能性もある。
「もし、どなたもいらっしゃいませんか」
警戒しつつ戸をあけた直江は、一面の雪の中一人で立っていた青年に目を奪われた。
青年は直江を見て、引き結んでいた唇をわずかに緩めた。
「すみません、吹雪で難渋しております、よろしければ一夜の宿をお貸しください」
直江は頷いた。
青年は高耶と名乗った。
「吹雪でさぞ難儀したでしょう、どうぞ。何もありませんが、火に当たってください」
直江が囲炉裏の傍をすすめると、高耶は小声でありがとう、と言ってわずかに微笑んだ。
(綺麗な人だ)
すんなりと伸びた首筋が炎に照らされて、喉元の陰が艶かしくすら感じられた。直江は慌てて目を逸らした。
「あの、これ、よかったらどうぞ」
高耶が懐に入れていた包みを直江に差し出した。
「……ど、どじょう?」
「きらい?」
高耶が哀しそうな顔になったのを見て直江は慌てて首を振った。
「いえ、こんな季節にいただけるなんて助かります。お恥ずかしい話ですが、今日は粟餅しか食べていなくて……高耶さんもよかったら粟餅いかがですか」
直江が串に刺した粟餅を並べると、高耶は興味津々な様子でそれを眺めた。
「ありがとう」
高耶がくれたどじょうはとりあえず泥抜きをすることにして、焼けた粟餅を高耶にすすめた。
「熱いですからね」
こくこくと子供のように頷く高耶は、最初の印象より幼く見え、それもまた愛らしく映った。
(……俺は、どうしてしまったんだ……)
「あの、高耶さんはどこからいらしたんですか?」
「川のそばだ」
「そうなんですか。どこかに行かれる途中だったんですか?」
「あ、まあ」
言葉を濁して高耶は粟餅にかじりついた。
「あつっ……!」
「た、高耶さん」
直江は急いで水を汲んで高耶に渡した。一口飲んでようやく落ち着いたらしい高耶は少し涙目になっていた。
「ひりひりする……」
「大丈夫ですか?見せてみて」
高耶が舌を出す。どうやら火傷まではならなかったようだ。
「少し冷やしておくといいですよ」
「うん……」
高耶は水を入れた湯のみを抱えてこくりと頷き、しばらく含んでいた。
さきほどから直江はどぎまぎしっぱなしだった。
(やはり俺はどうかしている。彼の舌を見て……あああ)
直江の煩悶など気付かない様子で高耶は小首を傾げ、取り落としてしまった粟餅をふーふーと吹いた。
「もう冷めた?」
「これくらいなら食べられそうですね」
「うん、ありがとう」
高耶は慎重な顔で餅を口に入れた。
「……おいしい」
高耶が笑う。直江はそれだけで幸福な気持ちになれた。
お腹にとりあえず食べ物が入ったためか、高耶は眠そうな顔で目をこすった。
「吹雪の中を歩いたなら疲れているでしょう、どうぞ休んでください」
一組しかない布団を高耶に貸そうとしたが、高耶は首を振った。
「オレはこれで大丈夫だから」
藁を敷いてその上に横になる高耶に直江は慌てた。
「いえ、こちらを使ってください」
「なら……半分ずつでもいいか?」
高耶の言葉に直江は一瞬詰まった。
(半分ってことはつまり、一緒に寝るということか?)
「いや、いらないことを言った、オレはやっぱり」
起こしかけた体を再び横たえる高耶の腕を直江は急いで取った。
「いえ、高耶さんが嫌でないのなら、そうしましょう。身を寄せたほうが暖も取れますし」
直江が微笑んでそう言うと、高耶もわずかに安堵したような目になった。
ぱちり、とはぜる薪の炎に照らされた高耶を直江は盗み見た。
疲れていたのだろう、高耶はすでに安らかな寝息を立てている。その横顔を見つめ、直江はほうと溜息をついた。
(吹雪の間は泊まっていくかも知れない……だが、吹雪がやめば)
彼は、行ってしまう。
「どこに行くのだろう」
もう二度と彼に会うこともないのだろうか。
直江は彼が目を覚ましてしまうのではないかと恐れながら、彼の頬にそっと触れた。
「高耶さん」
彼の名前を口にするだけで、胸がじんわりと温かくなる。
「高耶、さん」
彼が、欲しい。
欲しくてたまらない。
直江は震える拳を握りこんだ。
ごうごうと風の音が聞こえ、直江は内心安堵した。
「吹雪、ひどくなりましたね」
夜は明けたが、到底外に出られるような天候ではない。
「そうだな」
高耶は白い視界にわずかに眉を寄せた。
「直江が泊めてくれて助かった。ありがとう」
振り返って直江に頭を下げる彼に、直江は慌てて首を振った。
「いえ、当然のことですから。……高耶さんはどちらに行かれるつもりだったんですか」
「……春には兄たちと北に行く。……オレ、本当は」
直江に、会いに来たんだ、と高耶は直江をじっと見つめた。
「え」
彼の言葉に直江は瞬いた。
「オレは直江に助けられたことがあるから。行く前に、直江に礼を言うつもりだった。でも、覚えていないだろうと思って言い出しにくくて」
すまなかった、と目を伏せる高耶に直江は首を振った。
「いえ、とんでもない」
直江は記憶をさらったが、高耶を助けた覚えはなかった。こんな印象的な相手を忘れたりするとは考えにくく、高耶が勘違いをしているのではと不安になったが、直江は高耶の手を取った。
「気にしないでください。では、吹雪がやんだら、お兄さんのところに戻るんですか」
「いや、一人で住んでいる。兄たちはそれぞれ伴侶がいるから」
「でしたら……春まで、ここにいませんか」
高耶の黒い瞳が直江を見ている。直江の心の底まで見透かすような瞳だ。直江は己を偽るのをやめた。
「私は、高耶さんと一緒にいたい」
つきつめればそれだけの単純なことだった。単純で、純粋な願い。
「……それがお前の願いなら、一緒にいよう」
高耶はふわりと笑った。
まだ吹雪は続いていた。
雪の中に降り込められた一日は今までは長く重いものだった。だが今、直江の傍らには炎にあたって和んだ顔をしている青年がいる。
彼の顔を見ているだけで幸福だった。
「焼けたか?」
囲炉裏にさして焼いた餅は、あつあつで美味そうに見えた。それを一つとってじっくりと高耶は眺めていた。
「はい、気をつけてくださいね」
高耶はわずかに赤くなった。
「ん」
渡した餅をふうふうと冷まし、高耶は直江を見た。
「直江は食べないのか?」
「いえ、あとで頂きますから、高耶さんも気にしないでください」
「そうか」
高耶は気がかりそうな顔を直江に向ける。
(節約しなくてはな)
風がごうごうと鳴る。だが隣に眠る白い顔を眺めると直江は自然に微笑を浮かべていた。
昼間は二人、藁を編んでむしろやわらじを作った。初めて作るらしく、高耶の作ったものは到底売り物にはなりそうになかったが、彼の初めての品を売るつもりなどなかった直江にはかえって都合がいいくらいだった。
(もっとも、松田の息がかかった村の者が何かと交換してくれるかはわからないが……)
松田の歪んだ笑いを思い出して直江は溜息を押し殺した。
「直江?」
かすかな声。直江は傍らのぬくもりに目元を和らげた。
「すみません、起こしてしまいましたか」
「いや……まだ夜明け前か」
「そうですね」
高耶が直江に身を寄せてくる。どくりと直江の心臓が高鳴った。
「高耶、さん」
「あったかいな……」
直江の胸の中で呟いて彼が目を閉じる。直江はそっと彼の体に腕をまわし、漆黒の髪に顔を埋めた。
「ええ、あたたかいです……」
直江も、そっと目を閉じた。
ぱたん、ぱたん、と機の音がする。
母が使っていた機織を高耶が使えるとは意外だった。
空腹より、高耶の顔が見られないことのほうに苛まれつつ直江は久々に狩りへと出かけた。
(高耶さんに気を使わせてしまった……なんて甲斐性なしなんだ、俺は)
はあ、と吐き出す溜息も、空腹のためか力ないものだ。餅はまだあるが、冬は長い。一人分、ぎりぎりしか蓄えがなかったのだから、高耶と共に暮らすためにはもっと稼がなくてはならない。
だがその稼ぐ手段が直江にはなかった。
「ウサギでも見つけられればいいのだが」
魚でもいい。高耶はどじょうが好きなのだろうか。
とりあえず、直江は獲物を探した。
「高耶さん、魚が釣れましたよ!今日はおかずがつきますから」
寒さで魚の食いつきは悪かったが、直江はなんとか数匹の魚を捕えた。あまり大きくはないが、粟餅と漬物だけに比べればずっといい。
ぱたん、という音がとまり、高耶が出てきた。
「おかえり、直江」
疲れたような顔の高耶に直江は慌てて近寄った。
「高耶さん、大丈夫ですか?根を詰めすぎたんじゃないんですか、無理しないでくださいね」
「大丈夫」
高耶は笑った。
「直江のほうこそ大変だったろう?寒くないか?……やっぱり、冷えてるな」
高耶の掌が直江の頬に添えられて、その熱が伝わってくる。
「はやく火にあたったほうがいいよな」
言いながら、高耶が種火から火を熾した。
「高耶さん、一人だからって遠慮しないで火を入れてくださいね」
寒さに驚いて直江が言うと、高耶はくすりと笑った。
「オレ、けっこう寒さに強いからさ、大丈夫なんだ。ほら、熱いだろ?」
直江の手を取って首筋に当てる高耶に直江はどぎまぎした。
「え、ええ、でも……高耶さんが心配ですから」
「うん、ありがとう、直江」
高耶が邪気のない顔で笑う。高耶の体温が指先に移って、温まっていくのを直江は感じた。
小さな魚だったが、焼ける匂いはことさら食欲をそそった。
「おいしいな」
高耶が嬉しそうに笑う。
「もう一つ、どうぞ」
「いや、直江が釣ってきたんだから、直江が食べろ。オレより体も大きいんだから」
「……じゃあ、半分ずつにしましょうか」
高耶の笑みに、直江の胸に温かなものが広がった。最後の一尾を半分ずつ食べ、薄い味噌汁を飲むと体の中までほかほかとする。
(……いや、高耶さんと食べているからだ)
母が死んでから、食事はただ生命を維持するための手段に過ぎなくなっていたが、本当はこんなに幸福なものだったのだ。
「直江。明日、これを売ってきてくれないか」
高耶が織り上げたらしい布を持ってきて、直江は驚いた。
「糸もろくになかったのに、しかも一日で織り上げたんですか!?」
直江は高耶の頬を掌で包んだ。
「もうこんな無茶はしないで下さい、高耶さん。どうりで疲れた顔をしていると思ったんです」
「居候なんだから、当然だ」
高耶の言葉に直江は高耶の手を取った。
「居候だなんて、言わないで下さい。私が、高耶さんと一緒にいたいんですから」
「……オレも、直江と一緒にいたい……だから、少しでも直江の役に立ちたかったんだ。それを売れば、きっとお金になると思う」
布を広げると、今まで見たこともないような美しさとしなやかさで、光が溢れるような錯覚に捕らわれたほどだった。
「すごいですね」
「昔からオレの家に伝わっている織物なんだ」
これなら都でも高値で売れそうだ。もうじき、松田の家に出入りする行商がやってくるが、そこに売るか、あるいはじかに売りに行くか。高耶が織ってくれた布を二束三文で買われたくはない。
だが、高耶を残して出かけるのは心配だった。直江が帰る前に、高耶がいなくなってしまうのではないかと思うといても立ってもいられない気分に陥るのは間違いない。
「しばらくは吹雪もやんでいそうだな」
ほんのわずか木戸をあけ、珍しく雲の切れ目から覗いた星を見上げながら高耶が言う。
「……急いで売って帰ってきますから、高耶さん」
「待ってるから」
待っている。その言葉に、直江は思わず彼の体を抱きしめた。
高耶一人を残して遠出するのは後ろ髪を引かれる思いだったが、村では買い叩かれるのは間違いない、と直江は仕方なく山を越えることになった。
高耶は空を見て頷き、小さな直江の荷物を手にした。
「天気は大丈夫だと思うが、気をつけてな」
都まで歩いていくのは難儀なことだったが、このあたりには冬も行商が行き来する。不可能ではないだろう。一度、母の薬のために直江も冬に都へ向かったことがあった。その時は1週間ほどで往復できた。
「急いで帰ってきますから」
高耶は首を振った。
「急がなくていいから、気をつけるんだ。無事で帰ってくるのが大切なんだからな」
「……ええ」
一つしかない毛皮と、蓑と笠を身に付け、食料とわずかな金、それから高耶の織ってくれた布を纏めた荷物を背負い、直江は小屋を後にした。
(高耶さんが待っていてくれる……)
直江は歩き出した。
村の道まで出て、都へ出かけてくると告げると、この季節に、と長はわずかに眉を寄せたが、結局何も言わずに旅券を出してくれた。松田が直江を敵視しているのを知っているからだろう。
直江は足早に村内を通り抜けた。松田の店の前まで来ると、直江を見つけたのかわざわざ松田が出てきて、直江を見下すように眺めた。
「ふん、お前にまだ売るものなんぞあったのか」
「……」
何故こんなに嫌われているのかは分からないが、今となっては好かれたくもない。ただ高耶に迷惑がかからなければいい、とそれだけを思い、直江は松田から目を逸らしてそのまま歩いた。
「直江、貴様なんぞどこかの道で野垂れ死にするのがおちだろうよ」
松田の呪うような声を背に受けながらも、直江は松田への興味など全く失っていた。
「直江さん、都へ行かれるんですか?これ、よかったら」
村はずれまで来たところで声をかけられ、直江は驚いた。
「藤さん」
村でも器量よしで心根も優しいと評判の娘だ。直江を憐れみでもしたのだろうか。親切に幾ばくかの食料をわけてくれた。
「お気をつけて」
「ありがとうございます、藤さん」
直江は一礼して受け取り、都を目指した。
| 広告 | 花 | 無料レンタルサーバー ブログ blog | |