比翼





 都への旅路はつつがなく済み、直江は呉服屋の前に足を運んだ。客は奥で織物を選ぶようになっているらしく、どんな品を扱っているのかはよくわからない。だがしばらく観察していると、この店で仕立てたらしい着物を来た女性の姿を何人か垣間見ることができた。
 (……どれも高耶さんの織ってくれた織物には及ばない)
 遠目ではわからない細かい織りが入っているのかも知れないが、あの輝くような美しさと溜息が出るような手触りに敵うものなどないだろう。
 直江は意を決して店の者に声をかけた。



 「こんな金額になるとは」
 直江はまだ信じられない気分でいくつかにわけてしまいこんだ金子を懐の上から撫でた。
 買い叩かれるのでは、と不安だったが、村で買い取られる値段など問題にならないほどの金額になった。
 (まあ、あの店はもっとずっと高い値段で金持ちに売りつけるのだろうが、欲をかいても仕方がない……これで高耶さんに何か精のつくものでも買って帰れる)
 自然、直江の顔には笑みが浮かんだ。
 炭と味噌、醤油、雑穀、そして餅と干した魚、芋、柿、野菜、わずかばかりだが酒も買い、それから高耶のために布団を買おうかと迷った。
 (一緒に寝られるのは確かに嬉しいが、高耶さんに不自由をさせてしまうのはな……)
 思い切って高耶と二人で被れるような暖かな掛け布団を古着屋で買い求め、大きくなった荷物に直江は苦笑した。
 「少し買いすぎたか」
 だが懐にはまだ金が残っている。そして高耶は春には行ってしまうのだ。直江は高耶のために古着だが暖かそうな毛織物を買い、綿入れを買った。
 それから、笹飴を買った。彼は甘いものが好きだろうか。
 行きよりもはるかに多くなった荷物をまとめ、買った牛にくくりつけて直江は出発した。雪がさらさらと降っていたが、吹雪くほどではなかった。
 「順調に帰れそうだな」
 はやく高耶の喜ぶ顔が見たい。
 直江はせっせと歩いた。

 冬の日は短い。一日に行ける道程は限られていた。幸い、宿を取るのにも不自由しない程度にはまだ金子が残っている。
 牛を預けられる宿を探し、直江は体を休めた。
 「行商ですか?」
 宿の主人が山ほどの荷物ににこにこと話し掛けてくる。
 「いや、家の者が織った布を売りに行った帰りだ」
 「そうですか、いや、ずいぶんいい商いが出来たようで」
 宿についた食堂で、薄いが温かい味噌汁を啜ると人心地ついた。
 「お客さんはどちらのお人で?ほうほう……」
 この時期はさすがに旅人も少なく、ヒマなのだろう。主人は終始饒舌だった。
 「そういえば、お客さんと同じ村から商いにきてた方がいましたな。そう……たしか松田さんとか仰ってましたが」
 直江の眉が寄る。
 「お客さんのほうが一足速かったんですな、少し待っていればあの松田さんとやらも、帰りにここを通るでしょうな」
 「いえ、急ぎますから」
 やんわりと言うと、主人は頭をかいた。
 「いや、いや、長逗留してほしいから言ったわけじゃございません、ええ。あの松田さんとやらも、織物を売りに来てらしたんですがね、それがまあ、見たこともないような見事な布で。ちょっとだけ見せてもらったんですが、まあ、光り輝くようでしたよ」
 「え?」
 「それが三枚……いや、四枚くらいありましたな。触らせてはもらえませんでしたが、きっと素晴らしい手触りでしょうなぁ。村の名産なんでしょうな」
 「え、え……」
 確かに冬の間、外に出られない村人たちは家の中で機を織る。特産と言えばそうだが、決して光り輝くようなものではない。
 嫌な予感がする。振り払うように直江は頭を振った。

 松田を問い詰めるか否か迷ったが、高耶のほうが心配で直江は空が白み始めると即、宿を出立した。
 (まさか、まさか……松田が)
 直江のいない間に家に入り込んで、高耶に何かしたのだろうか。
 恐ろしい予感で直江は思わず震えた。
 やはり離れるべきではなかったのだ。彼が、高耶が己のために害されるようなことがあったら、自分を許せない。
 直江はひたすら足を進めた。

 次の宿場町についたときはまだ日が高かった。だが、宿を取らねば、山中で野宿することになる。直江は逡巡したが、天候が良さそうなので先に進むことにした。山中の雪の中で一晩過ごした経験もある。
 高耶に会いたかった。彼に会えさえすれば、他に何もいらなかった。
 (高耶さんっ)
 直江は牛に餌と水をやり、しばらく休ませた後、再び歩き出した。
 日が沈むのは早かった。雪が降ってはいないから、と歩き続けた直江だったが、さすがに限度だった。
 道はすべて雪に覆われ、段差も水路も区別などつかない。休めそうな斜面に横穴を掘り、直江はとりあえずそこで休むことにした。
 干し柿を食べながら、直江は高耶のことを思った。高耶はどうしているだろう。心配で、本当は走り出したい気分だった。
 雪の降り積もった山は恐ろしく静かで、月の光が青白く雪原を照らし出していた。
 だが、雲の切れ間から月が顔を出していたのは一瞬のことで、すぐに当たりは闇に包まれた。
 そして、雪が舞い始めた。視界が白く染まる。
 「高耶さん……」
 その夜は、吹雪となった。
 吹雪はやまなかった。
 小さな火で暖を取り、沸かした湯を飲んで直江は雪洞の外を覗いた。
 高耶に会いたかった。
 食欲はなかったが、意識して食べ物を取るようにする。ここで死ぬわけにはいかない。
 体を拭いてやった牛は大人しく休んでいる。直江と違い焦燥することもない。その姿を見て直江は己の浅慮を反省した。
 (何より、無事に帰ってくれと高耶さんに言われたのに、何をやっているんだ俺は)
 道に迷ったわけではないし、高耶のために買い求めた食料と衣服が十分にある。
 己に言い聞かせ、直江はしばしの睡眠を取った。

 (……おえ、なおえ)
 何かに呼ばれたような気がして直江は目を覚ました。
 きちんと防寒してはいたが、やはり寒さは感じる。
 直江は身をそっと起こして外に視線を向けた。
 ばさり、という音に驚き、外へと出た。あれほど強かった風はやんで、ちらほらと雪が舞っていた。
 その中に、一羽の鶴が倒れるようにいた。
 直江は慌てて駆け寄った。鶴の羽根は、まるで毟り取られたようにまばらで痛々しかった。
 「どう……」
 鶴は逃げなかった。直江のほうに目をむけて、弱々しく長い首を動かす。黒い瞳が、記憶に重なった。
 「……あの時の」
 罠にかかっていたのを外した、あの鶴のようだった。せっかく罠から逃げたのに、何故こんなに傷ついているのだろう。
 弱っているようなので、直江はそっと抱き上げてともかく雪洞の中へと鶴を運んだ。
 「随分冷えてしまって……」
 鶴は直江を見上げている。
 「もう大丈夫だ」
 直江が微笑みかけると、鶴は安心したように目を閉じた。
 弱っている鶴に何を食べさせればいいのかわからず、直江は荷物を探った。干し柿は食べられるだろうか。干した魚などでは喉にひっかかるだろうか。水は竹筒から飲めるだろうか。直江の頭の中は鶴のことでいっぱいになっていた。
 (ともかく、元気になってもらわなくては)
 先ほどまではあれほど高耶に会いたいと焦燥にかられていたというのに、鶴の出現でそんなことはすっかり忘れてしまった。
 高耶のために求めた干し柿をほぐしてみる。鶴はしばらく眠っていたが、直江が動いたためか目を覚ました。
 黒い瞳に何故か動悸がはやくなる。
 「何か、食べられるか?これは?」
 干し柿を差し出すと、鶴は直江の手から食べてくれた。なんとか飲み込んでくれたのを見て直江は安堵した。
 「干物は……辛過ぎるか」
 魚のほうがいいのだろうが、と直江は思案した。だが鶴は、まるで直江の言葉がわかるように首を振った。
 「干し柿でいい?」
 鶴は干し柿が気に入ってくれたようで、どこか嬉しげに直江に擦り寄ってきた。その様子に、直江も胸が温かくなった。
 だが、もう一つ干し柿を鶴に渡して、直江はそれが高耶のためのものだったのをようやく思い出した。
 (俺は……高耶さんの無事を確かめなくてはならないのに、一体なにをしているんだ)
 鶴にかまけている場合ではないはずなのに。一瞬でも高耶を忘れて平気だった己を直江は恥じた。
 雪はやんだようだった。直江は鶴をどうするべきか考えあぐねたが、家で介抱するほうがいい、と無理に自分を納得させてそっとその体を抱き上げた。
 「すまない……待ってくれている人がいて、どうしても帰らなくては」
 鶴は澄んだ瞳で直江を見て、くっくー、と優しく鳴いた。
 「俺の家までいけば、きちんと手当てもできるから」
 鶴を連れては宿に泊まることはできないだろう。直江は牛の様子を確認して、荷物を纏めた。
 「頑張って」
 直江の声に鶴は返事をするように一声鳴いて、後について歩き出した。

 先をひたすら急いでいた昨日に比べ、やはり速度はずいぶんと落ちた。だが、鶴を置いて行くという選択は直江の中にはなかった。
 「疲れたか?休むか」
 人間相手以上に鶴を気遣い声をかけてしまう。それを直江はおかしいとも思わなかった。また鶴も言葉がわかっているかのように首を振った。
 まだ日があるうちに休む場所を確保しなくてはならない。風が吹き込まなさそうな場所を探し、また雪洞を作るか、それとも洞窟でも探そうと直江は辺りを見回した。
 「たしかあそこに……」
 以前この道を通った時に休んだ洞窟が近くにあったはずだ。鶴と共に直江はそちらへ向かった。

 無事洞窟を見つけ、体を休めることができた。乾いた場所に毛皮を敷き、鶴を休ませた。
 「火を熾すが、驚かなくて大丈夫だからな」
 炭があるのは幸いだった。
 洞窟の中で小さく火を熾し、体を温める。沸かした湯に直江はほっとした。
 「干し柿ばかりではな……」
 干物を焼いて食べると、ひどく空腹だったことに気がついた。一尾をほぐして鶴に差し出すと、鶴は礼を言うように頭をめぐらせてそれを口にした。
 煙がたなびき、今が大変な状況なのを忘れそうになる。特に、傍らにこの鶴がいると、直江の心は穏やかになっていくようだった。
 (いや……焦ってはいけない、冬の旅は特に)
 直江は己に言い聞かせ、休むために体を横たえた。

 また、吹雪になった。
 だが洞窟の中で身を寄せ合うとそれだけでも暖かな気持ちになれた。
 なんとか熾した火を恐れることもなく、鶴は直江の傍に寄り添っていた。
 こうしていると、高耶と共に囲炉裏の前に座ってたわいもない話をしていたときのようだった。炎の揺らめきが瞳に映っている。
 (そうだ、高耶さんもこんなふうに……炎をじっと見つめていた……)
 「高耶、さん」
 ポツリと呟くと、鶴は己が呼ばれたように直江のほうを向いた。
 くっくっ、と小さく鳴いて、優美な首を傾げる。
 「……あたたかいですね……」
 しばし休むために直江は目を閉じた。

 くっくっ、と緊迫した様子で鶴が鳴いて、直江は目を覚ました。
 何があったのか、と身を起こし、あたりの様子を窺う。かすかな、雪を踏みしだくような音が聞こえた。それは一つではなかった。
 「隠れて!」
 もしも食料の乏しい人間たちの集団がこの洞窟で吹雪をしのごうと思ってきたのだったら、鶴を食べようとするだろう。直江を殺して牛と荷物を奪う可能性もあるが、考えても仕方がない。
 鶴は直江を気がかりそうに見つめたが、直江の言葉通りに岩の陰に身を潜めた。

 震えながら洞窟に足を踏み入れてきた人間の姿に直江は驚愕した。
 「松田!」
 直江に気づいたのか、松田が唇をゆがめる。
 「直江……」
 まさか追いつかれるとは思ってもみなかった。
 松田は直江の牛を見ると、嘲るように鼻を鳴らした。
 「それだけか?フン、目先のものばかり買いあさってきたわけだ、貴様にはその程度が似合いだがな」
 松田の後ろには、同じ隊商の者らしき男が4人ばかりいて、いずれも疲れた顔をしていたが、直江は快く彼らを火に当たらせようなどといく考えにはなれなかった。
 「……丁度聞きたいことがあった、松田。……織物を売りに行ったそうだが……どこで手に入れた」
 松田は醜悪な笑みを浮かべた。
 「毎年、織物を売りに来ているだろうが。何を言いたいのかわからんな」
 「……俺の家にいた人は無事か」
 「人?人だって?ふん、誰もいなかったがなぁ。そうだろう?人別帳にはお前以外の人間があそこに住んでいるなんてことは書いていない」
 「貴様っ!」
 松田は手にしていた杖で直江の胸を叩いた。
 「貴様、だと?お前なんぞに貴様などと呼ばれる覚えはないなぁ」
 ひひひ、と笑って松田は後の人間たちにあごをしゃくった。
 「少し身の程を教えてやれ」
 男たちが直江を取り囲んだ。

 男たちは暴力沙汰に慣れているようだった。旅の護衛として雇われたのかも知れない。たとえ直江が死んでも、雪渓にでも捨てればいいと思っているのだろう。直江を探してくれる人間などいない。……いや。
 (高耶さんが、悲しむ)
 直江は腹を殴られないよう必死で体を丸めた。
 殴られ、蹴られ、意識が朦朧とする。
 だがその暴力はすぐに収まった。
 「なんだ!?」
 ばさり、と鶴が姿を現したのだ。
 「……なんだ、鳥か、驚かせやがって」
 「丁度火もあることだし……旦那、食っちまいましょうぜ」
 ひひっと男たちが笑う。松田も頷いた。
 「久々に美味い肉が食えそうだ」
 鶴は甲高く一声鳴いた。
 ≪お前は直江を傷つけた≫
 洞窟の中に声が響き渡り、岩がびりびりと震えた。
 ≪ニンゲン同士の諍いだからと一度は譲歩した。だが……二度目はない≫
 羽根が抜け落ちた翼で男たちの前に立ちながら、鶴は異様に大きく、そして光り輝いているように見えた。黒いはずの瞳が、炎を写したように真紅に輝く。
 恐ろしい魔物に睨まれたように男たちは腰を抜かし、尻でいざった。
 鶴の姿が変化していく。ヒトの似姿だ。
 (……高耶さ……ん)
 赤い瞳こそ違ったものの、そこにいたのは紛れもない高耶だった。
 「き、貴様、直江の家にいた、小僧……っ」
 松田はがちがちと歯を鳴らした。
 「だ、だが、し、死んだはずだ!閉じ込めて火をかけたんだから!」
 松田の言葉に直江は蒼白になった。
 「貴様っ!」
 「織物を取り上げるときも、閉じ込めた時も、何も……おかしなことなど……」
 高耶の手の一振りで、男たちは吹き飛んだ。岩壁にぶつかって立ち上がることもできない。
 「高耶さん!高耶さんっ」
 直江は必死に叫んだ。その声が届いたのか、高耶が振り向いた。赤い瞳が涙を浮かべて直江を見つめた。
 「なおえ」
 「高耶さん……」
 動けない体でそれでも高耶にむかって手を差し出すと、高耶は一瞬躊躇するように足を止めた。
 「高耶さんにもう一度会えた……よかった……」
 「なおえ」
 赤かった瞳が、黒く戻っていく。浮かんでいた涙が零れ、高耶は弾かれたように駆け寄って、直江の手を取った。
 痛む体をなんとか起こして、高耶の手を確かめるように何度も頬に当てる。
 「あたたかい……」
 幻ではない、たしかに高耶がここにいる。愛しい指に唇を押し当てた。
 「なおえ……」
 高耶は静かに涙をこぼしていた。
 「お別れだ、直江」
 唐突に言われたその言葉が理解できず、直江はぼんやりと高耶の顔を見た。ひどく顔色が悪く、今にも倒れるのではないかと直江は心配になった。
 「高耶さん、休まないと。ひどい顔色ですよ……」
 「なおえ」
 小さな子供に言い聞かせるように、高耶はひどく優しく囁いた。
 「もう、オレは行かなくちゃ」
 「どこへ。家に……私たちの家に、帰りましょう」
 愛しげに高耶の手が直江の頬を撫でる。
 「この力は、直江を守るためのもの。そして……正体を見られたら……失われる……」
 高耶は微笑んだ。
 「直江。助けてくれてありがとう。
  一緒に過ごしてくれてありがとう。
  お餅も、干し柿も、美味しかったよ……」
 「高耶……さん……?」
 高耶の微笑は、水面の雪よりも儚く見え、直江は身を震わせた。
 「そんなふうに微笑まないで。貴方には、いつだって幸福に笑ってほしいんです」
 高耶は泣きながら、幸福そのもののように笑った。
 「オレは、直江に会えて、幸せだったよ……」
 高耶の体は、ゆらりと翳って、そして鶴へと変わった。
 くっくっ、と小さく鳴いて、それから直江から遠ざかる。
 「高耶さん、行かないで!」
 鶴は――高耶は振り返らなかった。
 直江に背を向け、一歩一歩、距離が開いていく。いつのまにか直江の全身を苛んでいた痛みは消えていたが、その代わりのようにまったく動かなかった。
 「高耶さん!」
 洞窟から覗く空は、一時の夢のように青かった。高耶は傷んだ翼をそれでも羽ばたかせ、大空へと舞った。
 「――高耶さん!」
 直江の声は、蒼穹に消えていった。








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