七夕異聞

その六
 「直江、気持ちいいか?今日も涼しいよな、ここは。下界も悪くないよな〜」
 高耶さんはいつもの日課の通り、水を汲んで(あの壺は、天界の天の川に通じていました)、直江の体を洗っていました。人間の姿だったら、例えようもなくフラチといえましょうが、直江は今の時点では牛、平和な日常に戻ったような光景です。小太郎も高耶さんの足元でごろごろしています。
 あれから何日、いや、何ヶ月たったのか。千秋の手紙で衝撃を受けて落ち込んだ直江でしたが、高耶さんには、「牛の直江だっていいじゃないか、同じ直江だろ」と言われ、その時は持ち直しました。が、牛でもいいのは当然心だけです。何日かして、直江はぐるぐるしだしてしまいました。
 高耶さんは今まで誰とも色っぽい話になったことなどありませんでした。が、今回のむにゃむにゃ……で、そういうコトを覚えてしまったわけですから、そのうち、人間の男と仲良くなってしまったり、サイアク、小太郎になびいてしまったりしたら……(そう、小太郎は天帝あたりには内密に、人型に変化する術を覚えておりました、抜かりのないことです)。
 今のところは高耶さんは以前の生活のままで満足のようですが、もしかしたら、直江が牛に戻ったのを残念と思っているかも知れません。いえ、まあ、戻ってあんまりがっかりされるのも嫌でしたが、だからと言って、全然なんとも思われないのも、あの一夜が否定されたようで悲しい直江です。
 「直江?どうしたんだ?なにか気になるのか?」
 ……いつもはさとい高耶さんも、この手のことにはかなり鈍感、なのか、はたまたつつきたくないのでフリなのか、優しく直江の顔を撫でて、それで済ましてしまいました。


 そんな日常をかき乱したのは、またしても譲でした。
 譲の来訪を告げる紫雲に気付いた小太郎に促されて窓のそとを眺める高耶さんは、ちょっと困ったような顔です。千秋が先に来るだろうと思っていたのに、と直江も心配でした。なにせ高耶さんを大切にすることこの上ない譲のこと、もしかしたら直江は殺されてしまうかも知れません。表立って駄目なら事故死とかもやりそうです、彼は。なにせ父親の天帝よりも恐れられているお方です。が、後に引くことなどできない直江は大きく息を吸って、覚悟を決めたのでした。
 高耶さんがお茶の用意をして(千秋のものですから、天界で水しか出せなかった頃よりは幾ばくかましです)、小太郎もあわただしく、しかし優雅な足取りで室内を整えました。直江は出来ることもなく、譲を出迎えに外に行くことにしました。
 紫雲の上から直江を見つけたらしい譲は、不機嫌を隠そうともせず、一瞥して顔をそむけました。が、譲は顔だけで笑っているときのほうがこわいことを知っている直江ですから、ほんの少しだけ安堵しました。
 「……譲、わざわざ来てくれたんだ。いきなりでびっくりしたぞ」
 高耶さんがそう言って譲を出迎えると、譲はうって変わって満面の笑みで高耶さんを抱擁しました。
 「元気だったんだね、高耶!心配したんだぞ、もう!……見合いがいやなら姉上から断ってもらうって、あれほど言ったのに、もう……」
 譲に言われ、高耶さんは顔を引きつらせました。
 とりあえず、譲に座ってもらって、お茶を勧める高耶さんです。
 「そ、そのせつは、まことに申し訳もゴザイマセン……。お、怒ってる……?べ、別に、ミナコサマが嫌だったんじゃないから、本当に、ただ、ちょっとよんどころない事情が……」
 高耶さんがしどろもどろにそういい募ると、譲は溜息をついて、
 「いいよ、そのことは。千秋からも父上にいろいろ言ってたから。姉上もちょっとがっかりされたようだけど、もう他の人と話がまとまって、結納済ませたから」
 あまりのことに驚く高耶さん。
 「え、そ、そうなんだ!けっこう天界では時間たってんのか?!でも、そんな相手がちゃんといたんだ〜。良かった〜」
 「いたわけじゃなくて。高耶のかわりに見合いに引きずって……いやいや、出てもらった相手を気に入ったんだよ。まあ、父上の覚えもめでたいし、力も申し分ないし、次期天帝は決まりだね」
 「え?そ、そうなんだ。譲はやらないんだ」
 譲は肩を竦め、そんな面倒やだし、とあっさり呟きました。
 「で、天界ではもう一年くらい経ってるんだよ。だから、姉上の婚礼に参列して欲しくって。相手も、高耶のよおく知っている人だよ」
 「?」
 「……かねてから懸案だった地上の人口増大に格別の功があったから、位も上がったんだよ、アイツ」
 「あ、あいつって、まさか……」
 「高耶の代わりくらいするの、当然だよね。ま、本人はいつまでもふらふらしていたかったらしいけど?いい機会だよ、どうせいつかは天帝位とまでは行かなくともそれに近いところで働いてもらわないとって思ってたんだ〜、適任だよねえ、うん」
 「……千秋?千秋なのか、見合いに引きずって行かれたのって……」
 高耶さんはちょっとだけ気の毒そうに呟きましたが、すぐにめでたい話だと思うようにしたようです。
 「そっか、じゃ、お祝いしなくちゃな!公主様も千秋を気に入ってくれたんだ〜、ヨカッタヨカッタ。当然、出席するよ、うん。あ、でも、服……はどうしようかな……」
 「いったん、俺のうち来いよ。どれでも好きなのを着ていっていいからさ。さ、いこう」
 高耶さんと、その肩にちゃっかり小さくなってのっかった小太郎は、譲に連れられてそのまま紫雲に乗り込んでしまいました。譲は外にいるしかなかった直江をふん、と言う顔で一瞥した後、そのまま高耶さんたちと共に出かけていってしまったのでした。
 一人、いや、一頭だけ取り残された直江は、ただ佇むしかありませんでした……。

 我に返った直江は、その場をすこしぐるぐるしました。このまま高耶さんの帰りを待っていても大丈夫なのでしょうか。天界よりもこの場所のほうが時間の流れは遅いようでしたが、譲が絡めばどんなことになるかわかりません。高耶さんが天界で三日ばかり過ごしたとしても、逆に地上で400年くらい経っているなんてコトになったら、直江はその間に高耶さんに飢えて死んでしまいそうです。なにせ譲は天帝よりも恐ろしいお方、400年どころか二千年くらい直江の時間だけ先に進めるなんて暴挙だって可能です。ここはどうしても高耶さんを追って天界に行きたいところです。
 直江は再びあの天の川の水が湧き出る壺をじっと見つめました。自分の顔を見つめてもべつにうっとり出来るわけでもない直江ですが、じっと考え込み、顔を水面に近付けました。……思えば、小太郎はここから出てきたのではなかったか、と思い至る直江です。が、いかんせんサイズが小太郎と違うので、ちょっと考えてしまいます。首は入りそうですが、手足のついた胴まではいるかかなり心配です。もし頭を突っ込んで動けなくなったら、いくら神牛の直江だって苦しいでしょう。小さくなる練習くらいしておけば良かったなどと思う直江です。
 が、この際、小さなことに構っている場合ではありません。いざとなれば自分の手足くらいぽきぽき折ってやる、と悲壮な(?)決意を固め、直江は頭を壺に突っ込みました。ぶくぶくと、泡が……下のほうに流れて行きます。が、それをじっくり見る間もなく、直江は無事(?)に壺の中、いえ、天の川の激流へと吸い込まれていったのでした。

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