夢十夜

その2




 夢を見た。


 女がいた。

 白い花が咲き乱れる野原で、花に埋もれるようにして、女が座っていた。背を向けているので、その薄紅色――男の故郷に咲く、桜の花にも似た、愛らしい色の髪が風になびく様しか見て取れない。
 もはや名前を持たぬ男は、その姿にこれが夢だと悟った。
(だって、彼女は)
 そう、死んだ。意に染まぬ『強制』に心を縛られ、その無垢なはずの白い手が血に塗れ、虐殺皇女と呼ばれて死んだ。
「……ユフィ!」
 男の声が聞こえないのか、彼女は振り返らない。花々の中を男は駆け寄り、手を伸ばせば届くほどの距離になって、もう一度名前を呼んだ。
「ユフィ」
 恐る恐る、男が正面に回る。
 彼女は誰かを膝に乗せて、俯いていた。ゆるりと顔を上げる。
 その美しく、柔らかく、慈愛に満ちた顔に、今は涙が零れていた。
 彼女は泣いていた。菫のような瞳も、長い睫毛も濡れていた。
 男は、動けなくなった。
 彼女の膝には、死者が横たわっていた。白い服を赤く染めて、青白い顔は明らかに死を迎えたもののそれだった。その顔は何かに満たされきったように、美しい微笑みを浮かべていた。
 だが男は、その死者を恐れた。
「――ルルーシュ」
 掠れた声で男がその名を呼ぶと、ようやく彼女が視線を男へ向けた。仮面に覆われた顔を一瞥し、非難も憐憫も、共感も喜びも宿さぬ顔で再び死者へ視線を落とす。涙に濡れた顔で優しく微笑みかけ、愛し子を慈しむような手つきでその頬を撫でた。
「ルルーシュ」
 男の掠れた声とはまるで違う、この世の優しさを全て集めたような声だった。
「ルルーシュ、ルルーシュ……」
 彼女――ユーフェミアは、まるで幼子を抱くような優しさで膝の上の彼に呼びかけた。
 男はその様をただ見ていた。
(どうして)
(その男は、貴女を殺した)
(無垢だった貴女の手を血で汚させて、日本人を虐殺させて)
 なのに何故、その彼を、そんなにも愛しげな声で呼ぶのか。
 ユーフェミアは男には応えない。

「ゼロ」
 振り向くと、緑の髪の魔女がいた。
 白い拘束服を身に纏った魔女は、男を、いまはただ記号としての名前しか持たぬ彼を見て緩やかに首を振った。
「お前は何をしている」
「……私は」
 ゼロ、と呼ばれ、男はゼロとしての口調そのままに言葉を続けようとして、生み出す言葉そのものがないことに気付いた。
 ユーフェミアは、男を通り越して魔女に視線を合わせた。
「ユーフェミア、慈愛の皇女よ」
 魔女が囁く。
「連れていくのか、そいつを」
 ユーフェミアは、哀しみと諦めと、それから誇らしさを交えたような顔で微笑んだ。
「ええ……ルルーシュは、ようやく解放されたのだもの」
「解放か」
 愛しげに死者の頬に頬ずりして、ユーフェミアは閉ざされた瞼に指を伸ばした。
「もうルルーシュは苦しまない。悲しまない、嘆かない……」
「彼の業は終わり、今はただ死者の安寧だけがある」
「今は、もうルルーシュはわたしたちのもの」
 彼女は彼を抱き上げた。今、たおやかな白い腕が抱いているのは、死したルルーシュではなく、白い布に包まれた嬰児だった。穏やかな寝息を立てる赤子を慈母のごとく抱いて、ユーフェミアは立ち上がった。
「ルルーシュ、ルルーシュ。愛しているわ、ルルーシュ」
 彼女に寄り添うように立っているのは、シャーリーだった。
「生まれ変わっても、大好きだよ、ルル」
「大好き」
 少女二人は、眠る嬰児を愛しげに見つめ、男を一瞥することもなく歩いていく。
「待て、ルルーシュをどこへ連れていくんだ」
 答える声はない。
「待ってくれ、彼を――奪わないでくれ」
 男の咽喉から搾り出された声に、笑ったのは魔女だった。
「愚かな男だな。お前からそいつを奪ったのは、お前自身に他ならないというのに」
 男の足は、凍りついたように動かなかった。
「お前は、もうゼロなんだよ。何もない。過去も、未来もない。ただの道具、歯車だ」
 だが、と魔女はひそやかに続けた。
「お前はもうずっと前から、そうだったろう。名誉ブリタニア人として、軍人として、ラウンズとして、そうやってブリタニアの体制の歯車となって生きてきたはずだ。今更、何を嘆く?」
「そんなことはわかっている」
 男は仮面の下で目を閉じる。
「わかっている」
 繰り返し、それからようやく男は目を開いた。花霞の中を去っていく少女たちの背中を見つめ、それから天を仰いだ。

「お前の迎えは来ない」
「……」
「はやく、帰れ」
「わかって、いる……」
 男は黒い手袋に包まれた拳を握り、それから少女たちの去っていった方角に背を向けた。
「お前はゼロだ。ルルーシュの、願いの証。そうだろう?」
 それ以上、何を望む、と問う魔女の声は、柔らかかった。
「何も。何も……」
 彼に託してもらったものを思う。枢木スザクは死に、悪逆皇帝はゼロに討たれた。彼の業は終わり、安寧だけがある。
「お前は、その先へ進め」
 魔女の言葉に、男はゆっくりと歩き出した。

 男は、己が殺してきた人間の数を数える。父を手にかけてから、この手で直接殺した数、離れて殺した数、見殺しにした数、そして救えなかった数。億に近づいても、男は立ち止まることは許されなかった。
(本当は)
 彼女が、自分を迎えに来てくれたのかと思った。そうだったらいい、と期待した。
 だが、彼女は決して自分を迎えには来ない。
 彼女の最愛の兄を殺した、枢木スザクは。
(わかっている。わかって、いた)
 彼女は、ルルーシュを恨まない。憎まない。
 彼女がルルーシュを責めるとしたら、あの特区で失われた日本人の命を悼んでだ。決して、己が殺されたことではないだろう。
 そして、ユーフェミアの仇とルルーシュを罵る権利など、ルルーシュを皇帝に売り払った時点で枢木スザクからは失われていた。
 わかっていたのに、殺した。
「殺すことしか、できない……何も創れず、守れなかった手」
 黒手袋に包まれた己の手を見つめ、男は呟いた。だが、それでも。
「進むしか、ない」
 明日を迎えるために。昨日より、今日よりも進んだ明日を、見るために。
 風が吹く。男は顔を上げる。
「明日への風が、吹いているんだ」
 だから、と男は呟いた。
「まだ、歩けるから。歩く、から……」



区切り線




 ゼロ、と呼ばれ、男は顔を上げた。
「ご無事ですか」
「ああ……無事だ」
 評議会を狙った、爆弾テロだった。今、ゼロの隣にいるのは、SPの咲世子だ。己にかけられた『生きろ』というギアスが、また命を救ったのだとわかる。
 立ち上がり、己の体にどこも不具合がないのを確かめながら、ゼロは混迷する世界に思いを馳せる。
(それでも、人は生きていく)
 今日よりも良い明日を願って。






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