甘い水





 鍋の底でゆらゆらと豆腐が揺れる。それを直江は興味深そうに見ていた。
(豆腐が好きなんだな)
 今日は湯豆腐だ。シンプルなようで難しい。
「そろそろ食べごろだろ」
 高耶が豆腐をよそってやると、直江は破顔した。
「ありがとうございます、いただきます」
「……ああ」
 つい口調がぶっきらぼうになってしまう。だが直江はにこにこと器を受け取って、嬉しそうに匙を手にした。
「今度、お豆腐作りましょうか」
「え?」
「お豆腐は水が命とテレビで見ました」
 水の精の趣味がテレビ観賞とは、随分と俗っぽいな、と高耶は苦笑した。
「直江が作りたいなら、まあ……」
「高耶さんと何かしたいんですよ」
 微笑みながらそう言われれば、高耶は言葉を失ってしまう。元々こういうときに気が利いたことが言えるタイプではないのだ。
「……一緒に作ってやってもいいぞ」
 直江は楽しみです、とまた微笑んだ。
「水は私が用意しますから」
「どんな水だ」
「当然、とても体にいい……」
「ねーさんと千秋にもおすそ分けするから、おかしなのはやめろよ」
 直江は一瞬眉をあげ、それから下げた。
「ただの美味しい水にしておきます」
「そうしろ」

 高耶は先程、ドアの端にひっかけたはずの足の指を見やる。高耶が意図しない形でついた傷は、すでに跡形もない。どうやら直江の言っていたことは本当らしい。だがそれに怒る気持ちも失せてしまっていた。それよりもずっと喪失のほうが怖かった。

(直江も、オレを失うのが怖かったんだな……)

 一度失っているなら、なおさらだろう。

 これから先のことなどわからないが。まだ訪れていない未来を憂うのはやめよう。
 今、直江と共にいることを喜ぼう。
(この気持ちも、もしかしたら過去だかなんだかのオレのものだったのかも知れないけど)
 そうでなければ、こんな怪しい男を家に上げて鍋を囲んで、それなのにこんなに満ち足りた心になるとは思えない。
(けれど、それに感謝しよう)
 高耶は湯気のたつ鍋の向こうの直江の顔をちらりと見て微笑んだ。





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