甘い水





 気がつけば、辺りは真っ暗になっていた。蹲るようにしていたためか、体が痛い。
(寝てたのか、オレ)
 手にしていたペットボトルに高耶は苦笑した。よろけながら手探りで立ち上がり、電灯の紐を引いた。急に明るくなったせいで、やけに眩しい。高耶は何度か瞬きした。
 ちゃぷん、と水が揺れる。高耶はペットボトルを取り落とした。
「落しましたよ」
「……」
「やっぱり、いりませんか」
「……」
 高耶はもう一度、ぱしぱしと瞬きした。
「直江」
「はい」
 まるで何事もなかったかのように柔らかく笑む男が憎らしく、高耶は直江の手からペットボトルをひったくってから直江に投げつけた。
「高耶さん」
 困ったようにペットボトルを受けて、直江はふっと笑った。
「お、お前、なんか」
 直江は黙って続きを聞いている。高耶はぐっと唇を曲げて、直江を睨みあげた。
「勝手に出てきたくせに、勝手にいなくなりやがって」
「すみません、高耶さん」
 直江は手をそっと伸ばしてきた。頬に触れられて、自分が泣いているのがわかった。
「本当に、すみません……」
 抱き寄せられて、高耶は言葉に詰る。
「う……」
「よくわかっていたはずなのに、本当に……貴方は意地っ張りで、怖がりで、臆病で……不器用で、媚びることもうまく振舞うこともできなくて……」
 ねえ、高耶さん、と直江は囁く。
「そんな貴方が、とても好きなんです」
 直江の声は真摯に響いて、高耶の胸にすとんと落ちた。
「オレのこと、好きか」
「ええ、とても」
 衒いもなくこんなことが聞けるなんて、酒なんて飲んでいないはずなのに酔っているみたいだ、と思ったが、止められなかった。
「本当か」
「ええ、本当に。高耶さんのことが、好きですよ」
 嘘のない声だった。高耶は直江の胸に顔を埋めた。
「本当の本当にか」
「ええ」
 高耶は息を吸い込んだ。ひんやりとした直江の掌が高耶の頬をなでていく。
「なら、いい……」
 高耶は直江の手を掴み、指を絡めた。



区切り線




「あら、ご機嫌じゃない〜?」
 再び綾子の部屋の前まで来た二人は、今度は指を絡ませたままだった。扉を叩く段になって、直江の指が高耶の指をきゅっと掴む。
 インターフォンが鳴った。綾子に来訪を告げると、すぐに扉が開いた。
 出てきた綾子が胸を揺らしながら手を振ってくる。高耶は反射的に赤くなった。
「別にご機嫌なんかじゃねーよ」
「あら、そう?」
 くくく、と喉の奥で笑い、綾子は高耶の目の前まで来て頬をつついた。
「ほんと、意地っぱりねぇ」
「そこまでにしてもらおうか」
 低い声と共に、綾子の腕が掴まれた。見上げれば、予想通りの顔がそこにある。
「直江」
 高耶は直江を宥めるように首を振って、それから嘆息した。
「あの、な、ねーさん」
「なあに?」
「ありがとな、その、いろいろ……」
 面白がっていたのが半分としても、後の半分は純粋に高耶を心配してあれこれしてくれたのだろう。こう見えて繊細なところのある綾子が、理由もなしに千秋へ直江のことを告げたとは考えにくい。
「いいのよ〜」
 綾子はふふっと悪戯そうに笑い、それから直江をちらりと見上げた。
「面白いもの、見せてもらったし?」
「晴家!」
「あ?誰のことを呼んでいるのかしら〜」
「……綾子……」
 いったい彼女にペットボトルを押し付けていた間に何があったのか気になったが、直江が必死で綾子に喋らせるまいとしている様を見て、追及するのはやめておいた。
「と、ともかく、また当分直江はオレの部屋にいることになったから」
「当分、ね」
 くく、と綾子はまた笑った。





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