朔風

その1




 かたん、と微かな物音にロロはぴくりと身を起こした。
 セキュリティが厳重なこの部屋で、危険なことなどまずない。
 気配に敏いロロとは違い、兄のほうは陽だまりのクッションの上で転寝を続けている。
(ああ、咲世子か)
 ゼロとなった枢木スザクの世話のために時折訪れる彼女は、相変わらず有能で天然だった。彼女が来ると、ドライのキャットフードではなく手製のものにありつけるので、ロロとしても嫌な気はしない。
 見事な手際で部屋を掃除し、洗濯物を片付け、冷凍庫を一杯にした咲世子がようやくロロたちの食事の支度にとりかかってくれたので、ロロは兄の隣で丸くなった。
「……ん?どうしたんだ?ロロ」
「ああ、起きちゃった?なんでもないよ、咲世子が来ただけ」
「咲世子さんか」
 兄の尻尾が期待するようにゆらゆら揺れる。ロロはゴロゴロと兄の身体に擦り寄った。
「今日はカリカリじゃないのを食べられるね!」
「そうだな」
『ロロ様、ルル様。お食事の用意ができました』
 猫相手にも丁重な姿勢を崩さない咲世子が、銀の食器に盛られた昼食を兄弟の前に置いた。熱すぎない温度に冷まされていたが、兄は相変わらず慎重に匂いをかいでいる。
「ん、食べようか、ロロ」
「うん!」
 兄と一緒にはむはむと食事を食べる。相変わらず咲世子の料理は美味しかった。新鮮な水もごくごくと飲んで、満足して兄と一緒に丸くなって、少しうとうとしかけた。
 が、そんなまったり気分は、次の咲世子の独り言で吹っ飛んでしまった。
『もうそろそろ、ロロ様もルル様も、去勢の準備をしないといけませんよね』
「!!!?」
 がばっとロロは起き上がって、皿を洗っている咲世子の後姿を眺めた。
『ゼロスザクさまがお留守の間は、私が責任を持ってロロ様とルル様のお世話をしなくてはいけませんもの』
 ロロは身震いした。今、咲世子はなんと言ったのか。
(冗談じゃない、本物の猫ならともかく!)
 いや、今は本物の猫なのだが。それはともかく、とロロは隣に寝ていた兄を揺り起こした。
「……なんだ?」
「大変だよ兄さん、咲世子が僕らをその……」
「?」
「と、ともかく、逃げないと!」
「逃げる?何でだ」
「咲世子は天然だからだよ!」
 枢木スザクは以前も猫を飼っていたし、それは去勢していなかった、と思う。だから自分たちにそういう話が持ち上がるなどと欠片も予想していなかった。
 が、言い出したのはあの咲世子。放置していたら悪気なく実行しそうだ。
「今日明日ということはないと思うけど、逃げなくちゃダメだ!」
「……わかった。ロロがそこまで言うなら、危険なんだろう」
 兄は怯えるロロを優しく落ち着かせるように頬にキスしてくれた。



区切り線




 その日は幸い、咲世子は家事を終えると大人しく帰った。去勢云々は、さすがに飼い主である枢木の許可を得てから、と思ったのだろう。……そう思いたい。
 枢木スザクが帰ってくるのは三日後、それまでにここから脱走しなくてはならない。
「また野良になってしまうが、心配することはない。お前を飢えさせるようなことは絶対しないからな」
「うん」
 野良だろうが野垂れ死にしようが、兄と一緒なら何の不安もない。
「行こう」
 台をなんとか引っ張ってきて、肉球のついた猫の手で暗証番号をなんとか押して、スライドドアがようやく開いた。すかさず兄弟は久方ぶりの外へと出た。
「風が冷たいね……」
「もう冬だったんだな」
 ふるり、と身を震わせれば、兄はごく自然に風上に立ってロロを北風から守っている。
(兄さんのほうが身体が弱いのに……)
 心配になったが、今はそれより身を隠すのが先決だ、とロロは兄と共に走った。






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