朔風

その2




 兄弟は寒風の中、身を寄せあうように走った。ゼロとなった枢木スザクは人目を避けるように郊外に居を構えていたので、仔猫兄弟を見咎める人間は誰もいなかった。
(いや、餌をくれる人間がいるほうが楽なんだけど……)
 しかし去勢は嫌だ。兄がそんな目に逢う事も耐えられない。
「兄さん」
「……疲れたか?」
 兄のほうがよほど疲れているだろうに、あくまで弟を労わろうとする。ロロはこくこくと頷いてみせた。
「どこかで休んでもいい?」
「ああ、そうしよう」
 兄は蛇や犬などの気配がないかを確かめるようにして、大きな茂みの中を探った。
「ここなら大丈夫そうだ。ロロ、おいで」
「うん」
 ロロは兄と一緒に茂みの中で丸くなった。
「おなかは空いてないか?」
「まだ大丈夫」
 今までのように食事が出てくることもないと思うと心細かった。人間だったころから、空腹が嫌いだったロロだ。けれど、兄とだったら何があっても耐えられそうな気がした。
(兄さんはきっと自分の分を削ってでも僕に食べさせようとするだろうけど、それじゃダメなんだ)
 ロロはきっと眦を吊り上げた。
「明日は僕が雀を取ってみせるからね!」
「そうか、期待しているよ、ロロ」
 兄は優しく微笑んでくれた。



 くしゅん、と小さなくしゃみをする兄にロロは肝を冷やした。
「兄さん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ、ロロ」
 兄はロロを安心させるように微笑んだが、体調が思わしくないのははっきりしていた。
 野良に戻ってから二日、今まで空調完備だった部屋から唐突に厳寒の只中へと来てしまったせいだろう。冬のさなか、餌となる小さな動物を見つけるのも難儀して、満足に食べられてもいない。
(ああ、どうしよう)
 ロロはおろおろするしかできない。何か滋養のつくものでも捕まえてこよう、とロロは兄に頭をこすり付けてから茂みの外へと飛び出した。



 ロロは茂みから離れすぎないように、絶対に兄のところへ帰れるようにと気をつけながら獲物を探したが、そう簡単にはいかなかった。
(兄さん……ごめんなさい……)
 役に立てない弟で、とロロが肩を落としてとぼとぼと歩いていると、不思議な気配がした。
『おや、こんなところにいたのか、お前達』
 人間の声にはっとなって見上げれば、視界に入ってきたのは黄緑色の髪だった。
「C.C」
 ロロが低く唸ると、魔女は金色の瞳を瞬かせて笑った。



 

区切り線




 ロロが最後に会ったときの魔女は記憶を失っていたが、今は不安定さは微塵もない。黒いコートに身を包み、黒いロシア帽を被った容貌は全く変わりなく、いつもの不敵な笑みを浮かべ、傲岸そうに顎を突き出した。
『難儀しているようだな、ロロ。枢木スザクのところで優雅な猫生活を送っていると聞いていたのに、家出か』
 くくっと笑い、ロロの周りを目で探した。
『お前の兄はどうしたんだ?』
 ロロははっとして身を翻した。こうしている間にも、兄が苦しんでいるかも知れない。
「兄さんっ」
 がさがさっと茂みに入ると、兄はちゃんとそこにいた。弟を見ると、いつものように優しく微笑んでくれたが、それは力なかった。
「大丈夫、苦しくない?」
「ああ……ごめんな、ロロ。頼りない兄さんで……」
 それだけ言うと、兄は力尽きたように丸まってしまった。
「そんなことないよっ!」
 ロロは涙ぐみそうになるのを必死に堪えた。
(ああ、やっぱり熱があるんだ)
 せめてきれいな水を、と思うが、どこを探せばいいのかすらわからない。
『あいかわらず軟弱だな、お前の兄は』
 降ってきた声にロロはきっと振り返った。
「いったい何のようなんですか、C.C」
 魔女はロロの言葉を理解したかのように笑って、黄緑の髪をはらりとかきあげた。
『何、久しぶりにこちらに寄ったついでに、黒猫を構って遊ぼうと思っただけだ」
 猫と、ではなく猫で遊ぼうという意図が丸見えなC.Cにロロは唸ったが、魔女はいっかな痛痒を覚えない様子で、兄の丸まった背中を一瞥した。
『ふむ……ロロ』
 魔女はもったいぶって懐に手を入れた。
『ここに一つ薬がある』
「薬?」
 魔女が取り出したのは小さなピルケースだった。宝石で飾られ、かなり時代を経ているように見える。そこからころりと取り出されたのは、黒っぽい色をした丸薬だった。
『教えてやろう、ロロ。これはな、獣をヒトに変え、ヒトを獣に変える秘薬なんだよ』
「は?」
 ロロは呆気に取られて魔女を見た。C.Cはは黒い手袋に包まれた指先で丸薬を弄びながら、ロロを揶揄うように続ける。
『猫の兄弟では生き抜くのも大変だろう。お前が人間になって兄を養うか、兄を人間にしてお前を養ってもらうか。選んだらどうだ』
「!?」
 ロロは硬直した。
(そりゃ、人間だったら兄さんを病院にだって連れていける……お金なんか、どうにでもして作る。でも、兄さんが猫のままで、僕だけ人間だなんて、そんなのはイヤだ)
 ロロよりずっと早く猫である兄は逝ってしまうだろう。置いていかれるのは耐えられない。
「それ、二つは……」
『ないな。魔法の残っていた時代の、最後の名残だ。これが本当に、最後の一粒』
(じゃあ、兄さんに飲んでもらって、僕が猫のまま……でも、兄さんは『悪逆皇帝』で、記憶もないのに、人間からどんな迫害を受けるか)
『迷っているな、ロロ。だが、どうやらお前の兄はそろそろ限界じゃないのか?』
「なんでそんなものをよこすんだ、C.C。最後の一つというなら、貴重なものじゃないの」
『今使わず何時使うというんだ、こんなもの』
 くくっとおかしそうに笑い、魔女は丸薬を放り投げた。ロロは慌ててそれを口に咥えた。
『乗りかかった船だ、見届けてやろう』
 魔女の名に相応しくC.Cは笑った。






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