掌の鍵






 テレビから聞こえてくる声に、カレンははっとした。
『……悪逆皇帝の死から十六年、世界は未だ混迷にありますが……』
 ゼロのスピーチだった。短いそれが終わると、平和式典の映像が入る。カレンはそれを一瞥してから身を翻した。カレンに気付いた生徒が気さくに声をかけてきたが、苦笑を返すに留める。
「紅月先生、お昼食べないんですか?」
「んー、なんかあんまり食べたいものなくて。外で食べてくるわ」
「そうなんですか、残念ー」
 昼休みの食堂は騒がしく、ニュースに注意を払っている人間など殆どいなかった。おそらくは永劫変わらないのであろう悪逆皇帝へのコメントを耳の端でとらえながら、カレンはその場を後にする。
(――ルルーシュ)
 首からひそやかにかけた紅蓮のキーを握り締めて、カレンは胸のうちだけで呟いた。

 彼の死を悼む人間はいない。



 もうじき期末テストを控え、職員室内も少しばかり疲れが漂っているようだった。カレンの担当は歴史で、近・現代史は本当に気が抜けない。学生たちは今の時代、いとも簡単にネットから適当なことを拾ってきてはそれを信じ込もうとする。
(……本当のことも、混じっているけど……)
 カレンは先日見かけたサイトの考察を思い返して押し殺した溜息を漏らした。『悪逆皇帝』と『ゼロ』が、かつては同一人物だったのではないかという考察を記したそのサイトは、すぐに閲覧できなくなった。どちらかと言えば、その事実のほうがカレンには恐ろしい。
(自分で閉鎖したのなら、いいけれど)
 彼の真実は、誰も知らない。――いや、あの『共犯者』を名乗っていた魔女、彼女だけが知っているのかも知れない。
「紅月先生」
 顔を上げると、教頭が難しい顔をして立っていた。
「なんでしょうか」
「いや、ね、扇くん……弟のほうだけどね……」
 兄のほうはカレンの受け持ちだが、弟は違う。それをわざわざカレンに言ってくるのは、扇とカレンが知り合いなのを教頭や校長は知っているから、なのだが。正直、気が重い。
「何かあったんですか」
 苦虫をつぶしたような顔で、教頭が手に持っていたレポートをカレンの机に叩き付けた。
「こんなレポートを提出してきたんですよ、あの子は!首相の息子という立場でなければ、すぐにでも理由をつけて退学させてやるのに……」
 カレンはぐっと唇を噛んで堪え、皺になったレポートを預かった。
「一度話をしてみます」
「頼みますよ、まったく」
 面倒事を押し付けることができて一安心、という様子で去る教頭の後姿を見送って、カレンは手元に残されたレポートを見た。
 書いたのは、ロベール・扇。今は三度目の内閣を率いる日本首相の三男だった。
「嫌われてるのよね、あたしも……」
 話をしてみる、などと言ったものの、ロベールは双子の兄、ルイツ以外に心を開かない。



区切り線




「紅月先生、失礼いたします」
 ルイツ・扇を呼び出したのは、カレンの苦肉の策だった。カレンと扇家自体はごく親しい付き合いで、扇の長男、ナオトの名前はカレンの兄、直人から取られたものだ。校内では特別扱いなどは決してしないが、ルイツともカレンはそれなりの親交を持っている。
「忙しいのにすまないわね、ルイツ」
 いつもの教師としての言葉よりも砕けた物言いに、ルイツの眉が寄る。
「何かあったんですか、カレンさん」
 この少年は、恐ろしく賢い。見た目は母親のヴィレッタに似て秀麗でもあり、学内でも飛びぬけて目立っているが、実のところひどい毒舌家で辛辣な部分を秘めている。だが身内や一度懐に入れた相手にはどこまでも甘く、その対象の筆頭が双子の弟だった。
「実はね……」
 年上として、教師として彼に相談するのは問題があると思わないでもなかったが、ロベールとは話もできない有様なので仕方がない。
「一学生のレポートが、そんなに問題だというんですか。言論統制ですか?」
 カレンが想像していた通り、ルイツはカレンが話した教頭の態度を鼻で笑い、それから目を通したレポートを置いて息を吐いた。
「言論統制というなら、父の政策に問題があるというべきですがね……」
「ルイツ、このままだと、ロベールは退学になるかも知れないの」
 ルイツは眉を上げた。
「馬鹿馬鹿しいと思うけれど、これが現実なの……」
 ルイツはいつになく真剣な眼差しでカレンを見て、それから肩を竦めた。
「貴女は、父に話をしようとは思わないんですか。あるいは、母と。……あくまで知り合いの『小母さん』からの忠告としてなら、それとして聞いておきますが」
 厳しい言葉に、カレンはぐっと詰まった。
「いいですよ、カレンさん。ロロには俺から話をします。レポートは教師向けに体裁を整えた、当たり障りのないものを再提出するように言います。それでいいでしょう?」
「……ルイツ」
「なんですか?」
「あなたも、これと同じこと、思ってる?」
 カレンが指し示したレポートに、ルイツは笑った。
「『悪逆皇帝処刑』のシーン、世間では回収されて決まったアングルからのものしか見られませんよね。……違うアングルから見れば、皇帝が最期に何を話したか、大体分かります」
 カレンは思わず顔を上げた。
「ルルーシュの、最期の、言葉……」
 漏れた声に、ルイツは苦笑した。
「ブリタニア皇帝の最期の言葉が日本語だなんて、それだけでも想像つきますよね……ゼロが誰なのか」
「……ロロに教えたの?もしかして、サイトに……」
「カレンさんが心配するようなことは俺はしませんよ」
 ルイツは手を振ると、生徒らしく一礼して指導室から出ていった。
 カレンはその後姿が見えなくなると、ぼんやりと外を見た。



 あの日と同じくらい青い空が、そこには広がっていた。



(あたしは、あの日から……何をしてきたのかな……)
 あるいは、何もできていないのではないか。
 服の上から紅蓮のキーを探る。癖になってしまった仕草だ。あの頃は無我夢中で、なにもわからず、己の愚かさすら知らず。進むことだけを己に課して、そして……。
 失ったものと、得たものと。捨てたものと、背負ったものを振り返り、最後に見た彼の姿を思い出す。
「扇さんと、話をしなくちゃ」
 きゅっとキーを握り締め、カレンは立ち上がった。






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