掌の鍵






 幾度見ても、慣れない。
 見れば苦しくなるのがわかっていて、それでもロロは何度でも繰り返してしまう。
「また見ているのか、それ」
 苦笑と共に振ってきた柔らかな声に、ロロは握り締めていた拳をほどいた。
「今度のレポート、これで作成しようかと思って」
 かつての美しい紫ではない、けれど慈しみの篭った温かな光を宿す暗褐色の瞳を向けられて、ロロの声は歳相応の、幼ささえ滲ませるものとなった。
「そうか……」
 心配そうに首をかしげる兄の名前は、もはやルルーシュではない。かつて世界を統一し、悪逆皇帝として死を迎えた記憶もない。それでも宿る魂は、あの兄のものだとロロは知っている。
 画面の向こうでは、再び悪逆皇帝が最期を迎えていた。



区切り線




 兄の手から返されたレポートに、ロロは唇を歪めた。
「ロロ、このレポートのことだが、書き直すようにとのことだ」
 兄の声はいつもより柔らかで、弟の心情を慮っているのだろう。それが嬉しくて、ロロは笑った。
「兄さんがそう言うなら、書き直すよ」
「ロロ」
 困ったような声を出す兄に、ロロは苦笑した。
「ルル兄さんを困らせるつもりで言ったんじゃないよ。ただ僕は、あの教師たちの言うことなんか聞きたくないってだけ」
 兄の指がロロの髪を撫でる。
「――紅茶でも淹れようか。レポートの書き直し、手伝うから」
「いいよ、もう用意してあるから。あ、でも紅茶は飲みたいな。兄さんが作ってくれたクッキーあったよね」
 兄は一瞬目を瞠ってから破顔した。
「ああ、今持ってくるから」
 兄弟それぞれの個室を用意したヴィレッタの意向など完全に無視して、双子であるルイツとロベール――かつてのランペルージ兄弟は二人で一部屋を使っていた。兄の後姿を見送って、ロロはレポートを一瞥した。
「やっぱり、腹立たしいな……」
 ロロがレポートに書いたのは、本当のところ考察ではなく、ただの事実だ。それが認められないこともさることながら、教師たちが扇の威光に諂ってロロに直接指導をしてこないこともロロを苛立たせた。
「兄さんの父親でなければ、とっくに殺しているのに」
 ロロは兄の前では決して口にしない言葉を呟いた。
(僕の家族は、兄さんだけだ)
 確かに血のつながりがあるはずの今の家族が、ロロには疎ましくて仕方がなかった。
 自分の部屋でもあるはずの扉を律儀のノックしてから、兄の声がかかる。
「ロロ、持ってきたぞ」
「あ、開けるから」
 ぱっと顔が綻ぶのが自分でもわかる。父親も母親も、長兄も死ねばいいと思いながら、この兄との生活は手放したくない。そしてこの兄が、ごく普通に父母や長兄を想っているからこそ、ロロは殺意を抑えている。
(ああ、いっそ事故死でもしてくれないかな)
 最近の扇政権の横暴さを思えば、事故死ではなく暗殺されるのも近いかも知れない。
「ロロ、なんだ?おかしな笑い方をして」
 訝る兄の声に、ロロは首を振った。
「ううん、ちょっと思い出し笑い」
「……そうか?」
 紅茶の入ったカップとクッキーの皿を載せたトレーを机において、兄はロロの頬を撫でた。
「ああいう顔は、その……」
 そんなに怖い顔をしていただろうか。ロロは思わず兄が撫でてくれた頬を自分でも撫でてみた。
「これ、再提出分だから、見てみて。教師受けしそうなこと、書いたつもりだから」
 少しだけ眉を寄せ、兄はロロの差し出したもう一つのレポートを読み始める。中身は当たり障りのない、表面的なエネルギー問題からのかつての戦争考察だ。
「ああ、いいんじゃないかな」
 兄がいつも勉強を見てくれるので、ロロも成績自体は問題ない。レベルの高いアッシュフォードでも上位をキープしている。
(でも、体力では僕のほうが上なんだよね)
 兄に助けられてばかりではなく、兄を日頃から助けられる。双子の弟というポジションに、ロロは至極幸福を感じていた。
「そういえば、なんで兄さんがコレ持ってきたの?」
「カレンさんが押し付けられたらしくてな。それで俺に回ってきた」
 ロロは不快感を顔に表さないようにするのに必死になった。
(ああ、あの女も死ねばいいのに!)
 兄を裏切ったやつらは皆死ね、と今でもそう思うロロだが、兄がカレンを気にかけている以上、自分では手を下せない。かつてそれで一度、どれほど兄を哀しませ激怒させたかを思い知ったロロは、少しだけだが自重を覚えた。
「なんでカレンさん?」
「父さんの知り合いだからだろ。……でも、言いすぎたかな」
「言い過ぎた?」
「ああ。本当なら、家族である俺たちが率先してやらねばならないことなのに、カレンさんに押し付けるようなことを言ってしまって……」
「――父さんのこと?」
 兄はふっと溜息をついた。だが、実際のところ家にろくに帰ってこない扇に、兄が何か影響を及ぼすことなどできるとは思えないし、あの扇が、自分の息子という立場にある兄の言葉を真面目に取り合うとも思えなかった。
(僕はあの男が帰ってこなくて、嬉しいけど)
 顔を見るのも不快なのだ。だが兄は、現在の日本、そしてこれからの日本の行く末が心配で、何かしなくてはならないのではないかと思い始めているようだ。
(兄さんは、もう世界のために何かする必要なんてないよ!)
 ロロの思いを他所に、兄はカレンのことを気にかけている。
「カレンさんだってもういい大人、どころかオバサンなんだから、自分のことは自分でするよ。ってか、するべきだと思うな」
「ちょっと口が悪いぞ、ロロ。まだカレンさんは三十代だろう……」
「十分すぎるほどオバサンだよ」
 ロロが唇を尖らすと、兄は真剣な顔で諭した。
「……思っていても、絶対カレンさんの前では言うなよ、ロロ……」
 ロロは仕方なく頷いた。




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