甘い水





 遠のく意識の端に、直江の顔が映り、高耶ははっとしてなんとか己を取り戻した。
「……」
 なにか言いたげな直江に高耶は拳を握った。
「なんでそこで残念そうな顔なんだ、直江」
「気のせいですよ、高耶さん」
 ふっと笑う直江は、やはり無色透明な水の精からは程遠いような気がする。
「高耶さんが気を失ったのをいいことに介抱と称してあんなことやこんなことをしたり、さらにはさくっと攫っていったり、そんなことは微塵も考えていませんから」
「お、お前なー!」
 あのペットボトルを買った三日前から、ずっとこの調子だ。ちなみに、一人暮らしの寂しさからおかしくなってしまったのか、と己の正気を疑ったのは初日の三時間だけだった。
「高耶さんとの同棲だけで我慢しますから」
「なんでオレがお前と同棲しなくちゃなんねーんだ!」
 高耶が叫ぶと、部屋の扉がどんどんと叩かれた。
「……晴家のようですね」
「はるいえ……って、ねーさんか。お前も綾子さんって呼んでやれよ……」
「キャベツと呼んでもバラはバラ。裏返せば、バラと呼んでもキャベツはキャベツです」
「……」
 妙に人間界に詳しい人外に、高耶ははぁあ、と大きな溜息をついた。



区切り線




「ちょっと、今アタシの悪口言ってたんじゃないでしょうねー」
 仕方なしにあけた扉の向こうに立っていたのは、果たして綾子だった。
「あらー、直江。アンタ、まだ高耶の部屋に居座っていたの〜」
 柳眉を逆立てる綾子に、直江はふふんとせせら笑うような顔をした。
「居座ってではない。同棲だ」
「高耶はそう思ってないみたいだけどー?」
 綾子が大きな胸を突き出すように胸を張ったが、直江はそれをゴミでも払うようにしっしっと手で払った。
「!?」
 綾子が驚愕して胸を抱えてその場にしゃがみこむ。
「どうしたんだ、ねーさん」
「あた、あ、あたしの胸がー!」
 普段は綾子の胸からは意識的に目をそらしているので、それほど明確ではないが、なんとなく、しぼんだ――ような気がした。
「どうせ偽物だろう」
 直江が呆れたように酷薄な目を綾子に向ける。高耶は慌てて二人――か一人と一柱かは知らないが、その間に割って入った。
「直江、ねーさんに何をしたんだ」
 綾子をかばうような高耶の言動が気に障ったのか、直江は高耶の問いに唇を曲げた。
「中身は生理食塩水だったんですよ。消えてもらいました」
 ハリセンがあれば直江の頭をどついてやりたい、と高耶は思った。
「お前ー!なんでそんなことを!」
「目障りだっただけです」
 簡潔かつ冷酷な言葉に、蹲っていた綾子がふらりと立ち上がった。
「なんですって」
 冷えた声は、低くドスのきいた響きだった。
「高耶」
 思わず背筋を正した高耶に、綾子は満足そうな笑みを浮かべた。
「コレ、追い出しなさい」
「ええ!?」
 高耶の驚愕を他所に 綾子は直江をびしっと指差した。
 指差された直江のほうは、綾子の言を鼻で笑った。
「出て行くのは貴方のほうですよ。ここは私と高耶さんの愛の巣ですから」
 再び犬でも追い払うような仕草で綾子に対する直江に、綾子はますます目を剥いた。
「こんなこと言われてるわよ、高耶!それでいいの!?」
 高耶は頭痛を堪え、それからよろよろと歩いた。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「気が済むまで喧嘩してろ」
「た、高耶さん!?」
 高耶が言い捨てると、直江は途端におろおろとした。いつもそのくらいしおらしければいいのに、とちらりと思いながらも高耶は玄関で靴に足をつっこんだ。
「喧嘩するほど仲がいいって言うしな」
 二人が火花が散りそうな目でにらみ合っていることを承知の上で高耶はそう言って、自分の部屋のはずのそこから一旦避難した。





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