甘い水





 ぶわっはっは、と笑われて、高耶は憮然とした。
「いやー、悪い悪い。なんだよお前、そんな面白いことになってたのかよ」
 爆笑したのは、茶色い長髪を後ろでゆるく結び、メタルフレームの眼鏡をかけた優男だ。知的な印象を与えるはずの顔立ちだが、着ているおかしげな日本語の書かれたアロハシャツのせいで軽薄にしか見えない。
 高耶はあの後、やはり同じアパートの住人で、友人である千秋修平の部屋に転がり込んでいた。
「そんなに笑うなよ」
「だってよー、そもそもが何、お前、見ず知らずのおじさんに部屋に居座られてるってこったろ。そこからしておかしいじゃねーか」
「……いや、おかしいのは確かだけど、そんなレベルのおかしさどころじゃないってーか……」
 直江の発言を思い出す。
(不老不死、って……いやいや、でも病気しないとかその程度かもだしな……)
 まさか確認のために死んでみるなどというわけには行かない。せいぜいが、指の先でも針でつついて、怪我の治る速度でも観察してみるくらいだろうか。
「千秋、針貸してくれ」
「針?ボタンでも取れたのかよ」
「……あ、取れてるな。これもつけよう」
 高耶はとりあえず借りた針を手に取った。

 ちくちくと取れかけていたボタンを縫い付けていると、千秋は感心しているとでもいうように腕を組んで頷いた。
「家庭的だなー。アレだろ、お前、料理もまめまめしくやるんだろ」
「……金ねーからな、自炊は当然だろ」
 揶揄うつもりなのかと高耶が千秋を見やると、千秋は顎をなでて首をかしげた。
「おまえ、そのおじさんにまで飯食わせてねーだろうな……」
「お、おじさんはやめろよ」
 いくらなんでも十九を過ぎている千秋に『おじさん』呼ばわりされる筋合いはないだろう。が、高耶がそう言うと、千秋は呆れたように溜息をついた。
「ほだされてんのか?」
 ほだされて、いるのだろうか。
「つっ!」
 ぼんやりしつつ針を動かしていたためか、指先に針を刺してしまった高耶は軽く声をあげた。千秋は眉を寄せただけで何も言わなかった。ぷくりと血の玉が浮かぶのを舐め取って、高耶は溜息を押し殺した。
「……平気か」
 怪我をしないとかすぐに治るとかではなかったのを確認しての呟きだったが、千秋のほうには当然逆に捉えられたらしい。
「シャツに血がつくぞ、平気とか言ってないで絆創膏くらい貼れよ」
 なんのかんの言って面倒見がいい千秋が絆創膏を出してきてくれたのを礼を言って受け取る。この男が持つにしてはやけにファンシーな柄だった。



区切り線




(なんか帰りたくねーな……)
 いがみ合う綾子と直江を二人、置いてきてしまった部屋に帰るのは気が重い。自分の部屋だというのに、と高耶は嘆息した。
(いや、喧嘩するほど仲がいいっていうし、案外ねーさんと仲良くなってるかも知れないし)
 絶対ないだろうと理解しながら、そこに目を瞑ってあえて希望的観測をして無理やり部屋の前まで足を動かし、高耶は恐る恐る鍵を開けた。
「ただいま……」
 残っていたのは直江だけだった。それは予想の範囲内だったので、とりあえず騒ぎにはならなかっただけでよしとした。
「お帰りなさい、高耶さん!」
 直江はまるで三十年程の別離を経てようやく再会したとでもいうようなテンションで高耶に駆け寄ってきた。
 ねーさんはどうした、と聞きたいところだったが、また直江が腹を立ててもつまらないのでとりあえず問いただすのは後回しだ。
「……高耶さん」
「ん?」
 直江の視線の先には、高耶自身の指があった。正確には、絆創膏が巻かれた指が。
「高耶さんに触れていいのは私だけなのに、誰に触らせたんですか!わたしというものがありながら、女などと!」
「……」
 高耶は自分でもまじまじと絆創膏を見た。それから、今日何度目かわからない溜息を漏らした。
「先に怪我の心配するもんじゃねーか?」
「高耶さんが大きな怪我をしたら、すぐに感じ取れます。それに今の高耶さんは、滅多なことでは傷つけられたりしません」
 簡単に針でつついて血が出たが、と思ったが、すぐに種明かしがされた。
「高耶さんと同じように、神性を得たものの手によらなければ、傷さえ負いません」
 つまり、高耶自身が針だの包丁だので怪我をしたら、普通に怪我というわけか。
「まあ、たいした怪我じゃねーけどよ」
 高耶が唇を尖らすと、直江はふっと笑った。、
「高耶さんが死んだら、私も死にますから」
「え」
 いきなり物騒な発言に高耶はおろおろした。
「そんなに間単に言っていいのか、そんな科白」 
 直江はふっと笑った。
「高耶さん相手だからですよ」
 あたりまえのように言われ、高耶は口をぱくぱくとさせた。高耶には口が裂けても言えなさそうな言葉だ。
「おまえ」
「はい?」
 高耶はずっと聞きたかったことをようやく切り出した。
「なんでオレのところに来たんだ」
 直江は黙って、曖昧に笑った。
「不老不死って。本当、なのか。――なんで、ここに留まるんだ」
「僥倖でした。今の年齢の貴方に出会えたことは」
「今の年齢って」
「十八歳。少し早いかとも思いましたが、私だけ置いて逝かれてしまうのは寂しいので」
「わけわからねーよ」
 高耶は思わず吐き出した。
「わからなくてもいいです」
 直江は笑ったまま、高耶の頬に手を伸ばしてきた。ひんやりとした掌は、やはり水の精だからなのだろうか。それが心地よくて、高耶は一瞬目を閉じた。
(……オレ、何をやってんだろ……)
 きゅっと唇を噛む。直江の言葉を信じるなら、高耶は勝手に不老不死にされたということだ。この歳のまま、年を取ることもなく、いずれは周囲から奇異の目で見られ、異物として追われる身になるかも知れない。
「オレはよくない」
 顔を上げて直江を睨むように見れば、高耶と目が合ったのが嬉しいとでもいうように直江は目を細めている。
「直江!」
 高耶は頬に触れていた直江の掌を払い落とした。
「ちゃんと答えろよ!」
「貴方に置いていかれるのが、嫌だったんです」
「だから、何でイヤなんだよ」
「それは、高耶さんのことが好きだからです」
「……お前は、オレの何を知っているってんだ。おかしいだろ」
 直江は払い落とされた己の手を残念そうに見て、首を横に振った。
「私はずっと高耶さんを見ていましたよ。高耶さんが生まれた時から、ずっと。ずっと、探してたんですから。高耶さんが生まれてくれるのを……」
 直江は何か遠いものを見るような目をして高耶を見た。高耶はわけもわからぬ苛立ちを覚えた。
「それって。オレが、生まれる前からって……あれか、オレが生まれる前からオレのことを知ってるってやつかよ」
「ええ……」
 高耶は拳を握った。
(オレが好きとか言って、それって別にオレのことが好きってわけじゃねーじゃねーか。オレになる前のヤツが好きってことじゃねーのか)
「高耶さん?」
「触るな!」
 高耶は直江を突き飛ばし、折角帰宅したはずの自分の部屋から再び飛び出した。





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