甘い水





 勢いにまかせて部屋を飛び出したのはいいが、行くあてがあるわけでもなかった。まさか千秋の部屋に再び転がり込むわけにもいかず、高耶は苛立った。
(オレ、なんでこんなに腹立ってるんだ)
 自分が直江に対して腹を立てていること自体が苛立たしい。
「水の精なんつって、ただのストーカーじゃねーか」
 すでにあれこれの不思議を見せ付けられて、直江が人間でないことは否定できない。だがそれとストーカーは別だ。
「生まれる前から、って」
 高耶は唇を噛む。なぜそれが腹立たしいのか。前世だかなんだかわからないが、今の高耶になる前の高耶がそもそも好きだったらしい直江が、今の自分、仰木高耶の隣にいる。
 くそっ、と悪態をついて道路に転がっていた小石を子供のように蹴る。からん、と空き缶にぶつかって、なんだか虚しさがこみ上げてきた。
(そうだ、あのペットボトル、ねーさんにくれてやろう)
 もっとはやくそうすればよかった。直江はあの部屋で出現したことがない。きっと、あの近くでなければ出られないのだ。
 高耶は踵を返し、自分の部屋へと急いだ。

「お帰りなさい、高耶さん」
 いつもと変わらぬ声をかけてくる直江を高耶は無視した。靴を脱ぐなりそのまま冷蔵庫に直行し、件のペットボトルを取り出す。
「高耶さん?」
 飲むでもなくペットボトルを握る高耶を訝ったのか、直江は首をかしげた。
 高耶は直江に目を向けることなく、そのまま玄関へと戻る。ドアを開けると、直江がついてきた。
「高耶さん、何か怒っているんですか」
「……」
「どこに行くんです?」
「……」
 綾子の部屋はすぐだ。さっきまで直江と喧嘩をしていたのだから、まだ部屋にいるだろうと思っていた通り、部屋には明かりがついていた。
「はる……綾子と仲直りしろってことですか?」
「……ねーさん!」
 インターフォンを押す代わりにドアをがんがんとたたくと、開けられたドアから嫌そうな顔をのぞかせて綾子は目を眇めた。
「うるさいわね……高耶?何の用よ……って、そっちは直江?」
 高耶は綾子にペットボトルをつきつけた。
「何よ」
「やるから」
「へ?」
「高耶さん?」
「これ、減らないから。ねーさん、この水好きだって言ってたよな。嬉しいだろ?開いているけど、コップで水汲んだだけだから。口はつけてない。安心して飲んでくれ。じゃ」
 それだけ言うと、高耶は綾子にペットボトルを押し付けてその場を後にした。

 直江はついてこなかった。



区切り線




 直江がいない部屋は、いつもよりもずっと広々として見えた。
(馬鹿馬鹿しい、こんな古くてぼろくて狭い部屋が、広いって?)
 いくら直江の図体が大きくても、そんなに変わるはずがない。
 だが部屋はやけにしんとして、そして寒い気がした。
「……なんか、喉渇いたな……」
 高耶は冷蔵庫の前までもぞもぞと移動して、ドアを開ける。冷えた空気に高耶は息を吐いた。
「なんにもねーな」
 食べ物はまだあったものの、飲み物は何も入っていない。そもそも無駄遣いが嫌いな高耶は、あまりペットボトルの飲料を買うことはなかった。いままでミネラルウォータを飲みつけてしまうと、水道の水がカルキくさく思えて仕方がない。それでも仕方なく高耶は水道水をコップに汲んで呷った。
「ふー」
 一息に飲み干し、息をつく。コップをシンクに置き、高耶は顔を上げた。
「こんなに静かだったんだな」
 高耶は耳を澄ます。どこからか聞こえてくるのは、豆腐屋のラッパだろうか。
(ああ。直江にも食わせてやったっけ、湯豆腐……)
 そこまで考えて高耶は首を横に振った。
「もう直江のことは、忘れる」
 宣言するように高耶は呟き、それから己に気合を入れようと己が頬をパシパシと叩いた。





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